リコール台数が過去最多へ 03年度、11月末で342万台

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031203-00000143-kyodo-soci

タイトルだけを読んだ限りでは、たとえば、「やっぱり、日本も最近はもう技術力や労働能力が低下して来ているのかな・・・」などという妙な感慨(?)を持つ人もいるかもしれない。

でも、国土交通省リコール対策室(なんてものがあるのか)曰く――

「複数の車種で使っていた共通部品の欠陥で大量のリコールにつながったケースがあったためだが、メーカー側の積極的な届け出の結果でもある」

にゃーるほど。

やはり物事は多面的に見なくてはならないんだな、とちょっぴり思い知らされる。

仮に本当に「メーカー側の積極的な届け出の成果」なんだとしたら、最初の印象は確かにいささか大げさ過ぎたことになるだろう。

「日本の企業もまだまだ(あって当然の)良心を失っていなかったか」と、ある面では見直すことになるかもしれない。

でも、やはりその一方で、「ものは言いようだな」などと斜に構えることだって出来る。

どちらか一方の結論を確信的に採るには、いろいろな情報を得る必要がある。でも一般的には、さすがにそこまでしようと思うほど興味があるわけではない事項に関しては、そのまま放っておく。あるいはそうでなくても、せいぜいが他人に話を振ってみるくらいだろう。その際、その人が自分が持っているよりも多い情報に基づいてある判断を下しているのを聞いたなら、ほとんど無反省に、自分もそれに同調してしまいがちになる。

恐らく多くの場合、日常において、ある判断に必要な情報をその根本的な源にまで自分で分け入って獲得することが出来るなんて、皆無に等しい。だから、今言ったような状況は多々見られることとなる。

にもかかわらず、それを「自分で考えた」、あるいは「自分で決めた」結論だと思い込み、それに従った言動をするようになる。というより、実際問題としてはそうせざるを得ない。まあ確かに、その結論は「自分で決めた」ことではあるかもしれない。しかし、その決め手となったのは何だったのか、思い返してみよう。その点について意識的になった場合でもなお、自分の下した結論を「自分で考えた」、「自分で決めた」と断言し、それを自分の考えや意見としてなおも引き受け続けることが出来るだろうか。

引き受けるか引き受けないか――それもまた、自分の決断によるしかない。