和製English or not ?

ちなみに六本木ヒルズでは、「『不可能』を越えた世界記録」展というのをやっていて、アディダスのコンセプトとして(文字通り)大きく掲げられていたのが――“IMPOSSIBLE IS NOTHING”

http://www.roppongihills.com/jp/feature/019/i8cj8i0000016zg8.html

「不可能なんてあり得ない」という意味のつもりらしいんだけど、少なくとも個人的な語感としては、それを言うなら“NOTHING IS IMPOSSIBLE”じゃないかと・・・。(というより、そもそも「不可能なんてあり得ない」という表現からしてちょっと不自然――不可能性の可能性を否定したうざったい表現になっている――で、それを言うなら素直に「不可能なことなんて(何も)無い」で良いじゃないか、ということはとりあえずさておき。)

“IMPOSSIBLE IS NOTHING”という表現が仮に文法的に許されるのだとしたら、意味としてはたぶん、「不可能なのは、『何も無い』ということ」――つまり、「『何も無い』ことなんて不可能だ」

――違うやろか?

「『何も無い』ことなんて不可能だ」という命題自体には、哲学的にちょっと興味深いものがあるけど、今はその点はさておき。

もしこの通りだったとしたら、外国人観光客(場所柄、さすがに多い)に笑われるばかりか、近くの「六本木中学校」の生徒さんたちにも示しがつかないぞ、と勝手に心配してみる。

さて、ホントのところどうなのか――教えて、えらいひと!追記:どうやら一種の倒置法だから問題ないらしい・・・。nothingが文頭に来ることで意味的に強調され、単に「何も無い」じゃなくて「あり得ない!」といったニュアンスが醸し出される――という感じでしょうか。)