ブラックバーン『ビーイング・グッド:倫理学入門』
[倫理学]というカテゴリーを新たに使った方が良いのだろうか? でも煩雑なので[哲学]で通すことにしよう。倫理学、あるいは少なくともメタ倫理学は、「倫理の哲学」という意味で哲学の一分野なんだ、と強弁したところで怒るような偏狭な人なんて居るだろうか*1。
某日記でも「某氏」と名指されている(?)某氏より邦訳書出版の情報を得たので、ご紹介。
サイモン・ブラックバーン『ビーイング・グッド:倫理学入門』(ASIN:4771014795 晃洋書房、坂本 知宏/村上 毅 訳)
・・・タイトルが全然ソソらない。
「倫理学入門」はまだしも、「ビーイング・グッド」はないんじゃない? いや、確かに原書はSimon Blackburnの"Being Good: A Short Introduction to Ethics" ASIN:0192853775、そのまんまと言えばそのまんまなんだけど、外来語ないし和製英語として少なくとも現時点では全く定着していないような表現をカタカナでそのまんま表記するのってどうなのよ?
たとえば昨今、日本で公開される洋画のタイトルをほとんどそのままカタカナ表記にする風潮があるようだけど、それだと、とてもじゃないが観る気が起きない。なんと言うか、カタカナの羅列って「へなちょこ」に見えて仕方ないのだ。とにかく締まりがない。
『ウルトラマンコスモス v.s. ウルトラマンジャスティス/THE FINAL BATTLE』――あ、これは違うか。
ともかく、邦訳のタイトルは何か適切な日本語表現にして欲しかった。
'Being Good'は、仮に直訳するなら「良くあること」、あるいは「善くあること」か*2。まあ確かに、これをそのままタイトルにしたところでソソるわけじゃないので、内容に即して訳者と編集者とで善処して頂きたかったところ――まあ、実際はその結果のカタカナ表記なんだろうけど。
ところで、日本語では道徳的な良さを「善」、悪さを「悪」と書くが、英語ではそれぞれ'Good'と'Evil'。
特に道徳に直接関わらない価値の場合には、日本語では「良い」と「悪い」、英語では'Good'と'Bad'。
面白いことに、日本語の場合には、ポジティブな価値の方にはそれぞれ異なった表記が用いられ、ネガティブな価値の方はどちらも同じ表記が用いられる一方で、英語の場合にはそれの全く逆、つまりポジティブな価値の方はどちらも同じ表記が用いられ、ネガティブな価値の方はそれぞれ異なった表記が用いられる*3。
まあ恐らく、こうした事実からそれぞれの語族における価値観の違いなどを論じたりしている人も多々いるんだろうけど・・・。
あれ、毎度のことだが予定調和的に話がズレた。
そうそう、Amazonでは、この邦訳書は2,200円だけど、原書は1,000円切ってる・・・。時間は掛かっても原書で安くあがらせるか、カネはかかっても邦訳書で早くあがらせるか。どちらが良いかは各人の目的によるでしょう。僕の場合は・・・?
ようやくブラックバーンの邦訳が出たのだから、今度はいよいよマクダウェルの番でしょう。翻訳チームの方々には是非とも頑張って頂きたいものです。(他人事・・・。)