"Causes of death of philosophers" Part8

http://www.dar.cam.ac.uk/%7Edhm11/DeathIndex.html

間欠的に第八回*1「もう」というか「まだ」というか・・・。

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  • Hare: Wrong prescription
    • ヘア:「間違った指令による」・・・軍隊にいたことがあるらしいので、上官がアホだったことが運の尽き、と。
    • R. M. Hareは、メタ倫理学ないし道徳哲学における「指令主義(prescriptism)」の主唱者として知られています。彼は、道徳的判断には記述的意味だけでなく指令的意味もあると考えました。たとえば「他人の物を盗むべきではない」という道徳的言明について、私たちはそれが何を言っているのかを理解することは出来ます。でもだからと言って、その言明の言っていることに従うとは限りません。つまり、その際には単に、当の言明の持つ記述的意味を理解しただけだということになります。しかし、その言明を(単にそれが言っていることを理解するだけでなく)受け容れるということは、当の言明の言っていることに従うということです。つまりこの場合なら、「他人の物を盗むな」という一種の命令がそれに当たります。ですからこれが、指令的意味というわけです。
  • Hegel: Gave up the Geist
    • ヘーゲル:「精神を放棄した」・・・なんだかデカルトと似たような「死因」なのが面白いかな。
    • G. W. F. Hegelは、『精神現象学』が主著として知られていますが、彼は、「近代哲学の完成者」と呼ばれていました。なぜそう呼ばれ、しかも過去形なのか。彼はそもそも歴史の発展を「絶対精神(der absolute Geist)」としての理性が自己実現して行く過程だと捉えていて、もちろん哲学の歴史もその一部とされたからです。つまり、彼の哲学は、理性の発展としての哲学の歴史が終局した「絶対知」の地点だというわけ。でもご存知の通り、彼以後もなお、哲学の歴史は続いています。ヘーゲルの時点で理性の発展は本当に終わっていて、実は後は衰えて行っている一方なのか(つまり、彼以後の哲学は単なる残骸に過ぎないのか)、それとも、やっぱり本当は今なお発展し続けているのか(つまり、ヘーゲルは大いなる勘違い屋さんだったのか)、悩ましい限りです。
  • Heidegger: Not being in time
    • ハイデガー:「時間の中に存在しなくなった」・・・でもなお、どこかには存在するのでしょう。
    • M. Heideggerの主著としてはもちろん、『存在と時間(Sein und Zeit/Being and Time)』が知られていますが、これって未完だったんですね(知らなかった)。いずれにせよ、彼の目的は、「存在者」ではなく「存在」一般の意味を探ることにありました。で、その際、漠然とではあれ「存在」を開示している「存在者」としての人間を「現存在」と呼び、この現存在への問いかけを通じて「存在」の意味を探ろうとします。そして結局、その意味を「時間性」に求めることになるわけです。現存在じゃない存在者の存在の意味が気になるところ。

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明日はたぶん無理。絶対無理。今だって、やらなきゃいけないことから逃避中・・・。

*1:2003-11-8の企画趣旨、参照。