"Causes of death of philosophers" Part10

http://www.dar.cam.ac.uk/%7Edhm11/DeathIndex.html

記念しても仕方がない第10回目*1は、何と1項目だけ。

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  • Kripke: Went rigid
    • クリプキ:「硬(固)くなった」・・・死後硬直?
    • S. A. Kripkeは、様相論理学の第一人者として知られていますが、『名指しと必然性 -様相の形而上学と心身問題-』(産業図書、八木沢 敬/野家啓一ASIN:4782800223)で彼は、様相論理学のモデルとしての可能世界意味論を基礎に据えて、いわゆる指示の理論を展開しています。そこでの彼の主な標的は、固有名の意味に関する「記述の束」説です。この考え方によれば、固有名の指示対象は、その対象が持っている性質に関する記述の集まりによって決定されることになります。たとえば「小泉純一郎」の指示対象は、「2003年の日本の内閣総理大臣である」、「ライオン・ヘアーである」、「Dr.マシリト*2に似ている」などといった一連の記述の束によって同定される、というわけです。確かに、特に「2003年の日本の内閣総理大臣である人」という記述に関して言えば、「Dr.マシリトに似ている」などとは違って(これに当てはまる人は他にもいるだろうから)、実際には唯一の人物を指示するように思えるかもしれません。こうした記述(「日本一高い山」など)は「確定記述」と呼ばれ、固有名と共に「単称名辞」と呼ばれることもあります。しかしクリプキは、そうは考えません。なぜなら、2003年の日本の内閣総理大臣小泉純一郎ではなく、菅直人であることも十分あり得た(そういう可能世界もある)はずだからです。つまり、「小泉純一郎」という固有名と「2003年の日本の内閣総理大臣」という確定記述との結び付きは、決して必然的なもの(=あらゆる可能世界で成り立つこと)ではなく、飽くまでも偶然的なもの(=少なくとも1つの可能世界で成り立つこと)に過ぎないというわけです。そのため、固有名の指示対象はいかなる記述によっても固定されないとクリプキは考えます。むしろ、固有名(と自然種名)はそれ自体が「固定指示詞(rigid disignater)」なのだというわけです。たとえば、「小泉純一郎は2003年の日本の内閣総理大臣であり、・・・」という記述と、「小泉純一郎は2003年の日本の内閣総理大臣ではなく、ライオン・ヘアーでないどころかバーコードであり、目もパッチリしているので、全然Dr.マシリトに似ていないこともあり得た」という記述のどちらも、ある唯一の人物を固定的に指示していると考えられますが、それこそが正しく、「小泉純一郎」という固有名それ自体の機能に他ならないのです。クリプキの「死因」は、「クリプキ(Kripke)」によってあまりにも(色んな本や論文などで)固定指示され過ぎたせいなんでしょうか。

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最近、ホントに趣旨が変わって来ているな・・・。

ちゃっちゃっと簡潔に書くだけにするつもりだったのに。

何とかして軌道修正したいです。

「じゃあ、すれば?」と言われることは承知していますが、でも言わずにはいられない・・・。

*1:2003-11-8の企画趣旨、参照。

*2:ご存知ない方はこちらのページをご覧下さい。http://www.bea.hi-ho.ne.jp/nukamisso/aku/meibo/aku_meibo_mashirito.html