便通教の教祖になるには?

尾籠な話で申し訳ないのだが、この頃妙に便通具合が良い。

どれくらい良いかと言うと、こんな事をこんな所にわざわざ書くほど良い。ただ、さすがに詳しい描写までは(したいけど)出来ない。

便秘に悩まされている人が見たら(何を?)、きっと僕を便通の神様として讃え出すだろう。そして瞬く間に、僕は「便通教」の教祖に祭り上げられるのだ。

そうしたら僕は、何か便通に関する本をたくさん書かなくてはならないかも知れない。

でも、そんなに書くことなんて思い浮かばないからどうしよう。しかもその本は、信者が見たら恐らく素晴らしいのだろうが、他の人が見たらいかにもな胡散臭さが充満しているようなタイトルと内容と装丁でなくてはならないのだ。その絶妙な加減を調整するのだってさぞや大変な作業であるに違いない。

また内容に関して言えば、便通と宇宙と幸福と神様とを強引に結び付けたりしなきゃならないのだ。そんな凄まじい想像力があったら、僕はもうとっくに小説家デビューしていたことだろう。でも、折角だからこの際タイトルだけでも考えてみることにした。

『あなたも宇宙神の超・便通で幸福になれる』(仮)

他にも、何かインパクトのあるキャッチーな「言葉」を一つ二つ生み出した方が良いに違いない。

「便通ですか?」とか唐突に訊いても意味不明だし、「これは便通です」とか記者会見で言うのも良いかも知れないけど、でもそれって'This is a pen'(これはペンです)並の無意味さだし、だからと言って、「便は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とか難しい顔しながら言ってみたところで、「いや、っていうかむしろ便は人の下から出て来るもんじゃん」というわけで全然説得力無いし、いやはや、なかなか思い付きそうにない。

そんでもってとりあえず集会所みたいな所で集会開いてみても、集まるのはみな便秘の人ばかり。それはそれで、なかなか壮絶な光景かも知れない。

ただ、それだけで済むとも思えない。もしかすると便通教の信者さんたちは、教祖である僕の言葉――「信ずれば便は通ずるのです」――を聴いて涙した途端、みんながみんな一斉に・・・その、何というか、もよおし出して、最初の数人はトイレに駆け込めるけど、他の人たちは間に合わずに、それこそ想像を絶する阿鼻叫喚の光景が繰り広げられることにもなりかねない。

こうしていろいろ考えてみると、便通教の教祖になるのは前途多難で、あるいは仮になったとしてもしんどそうで、僕にはとても務まりそうにないことが判明したため諦めることにする。

さてさて冗談は人生だけにするとして、ホント、どうしてこんなに具合が良いのか自分でも良く分からない。

不規則な生活と貧相な食事を重ねているというのに・・・。

ただ一つ思い当たる節と言えば――夜食代わりに飲んでいるココアだろうか。

マグカップに、ココアの粉末をスプーンを使わずに直接ドドドドっと入れる。多分、小さじ3杯どころじゃないかも知れない。ポットに残っているお湯(ぬるま湯でも可)を少し注いで粉末をある程度溶かしたら、あとはカップいっぱいに牛乳を注いで、電子レンジで2分。

いずれにせよ、たっぷりのココアの粉末と牛乳――これが良いのかもしれない。あるいは、深夜に飲むっていうのも要因の一つなんだろうか?