映画一本半観賞

『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』のDVDをレンタルして観賞。

言うまでもなく、「旅の仲間」、「二つの塔」、「王の帰還」の三部作の内の第二作目です。

「旅の仲間」も同じようにDVDで観たんですが、細かい内容は忘れてしまっていました。それでも、壮大な映像の迫力には素直に圧倒されます。これ、仮にストーリーが分からないか、あまり好きじゃない場合でも、この映像だけでも充分映画館で観る価値ありなんじゃないでしょうか。

恐らく誰もが思うのでしょうが、原作者のトールキンが観たら果たして何と言っただろう?

そう言えば、「王の帰還」は確か2月公開予定。最後くらいは映画館で観てみようかな・・・と画策中。

ちなみに、この映画(あるいは小説)の原題は"The Road of the Rings"(『指輪の道』)である――○か×か?*1


もう一本、深夜にやっていた『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の後半だけを観賞。というのも、最初は特に観るつもりはなかったもので・・・。だから実は、肝心の主人公の子供の姿を(たぶん)見ていないんです。

ビョークの歌は良かったと思います。ただ、巷でさんざん言われているように、確かにストーリー的には無理があったような感じ。特に、この結末を避ける手段はいくらでもあったはずなのに、作り手の側がどうしてもまずこの結末ありきで強引にストーリーを展開させている印象が、どうしても拭えないんです。

いや、この結末自体は決して悪くないと思うんです。バッドエンドの映画だってありでしょう。ただ問題は、その結末に至らせるための「手続き」に明白な不備があっては逆効果だ、ということ。

多くの観客は、ただでさえハッピーエンドを望んでいるわけです。だからハッピーエンドに向かう展開であるなら、途中がやや強引でもそれほどマイナスの評価を受けないような気がします。しかしこの映画は、そこを敢えてバッドエンドを選んだわけで・・・。しかも単なるバッドエンドではなく、そこに至る主人公の考え方や判断に対してさんざん論議を呼ぶだろうことは明白な内容だったわけで・・・(そして実際、呼んだらしいけど)。作り手側も、そうなるだろうことは恐らく承知の上だったはずで・・・。だとしたら、やはりもうちょっと慎重に展開させて欲しかったかも。

ところで、当の作り手側、特に監督は、この主人公の考え方・判断に対して肯定的なんでしょうか否定的なんでしょうか?(もしかするとどこかのインタビューなどで答えているのかも知れませんが・・・。)一般に、小説や映画などにおいては、その読者や観客は、主人公の思想をその作り手の思想の投影として受け取る傾向にあるような気がします。でも、多くの作家や監督が言っているように、作り手側の思想が必ずしも主人公の思想に投影されているとは限りません。たとえば、ある種のアンチテーゼとして作品を世に問う場合だってあるでしょう。

だから、この作品の場合はどっちだったんだろうな、とちょっと疑問に思ったわけです。

僕自身はと言えば、やはりこの主人公の考え方・判断は間違いだったと思っています。さっきも言ったように、他の(恐らくより良い)選択肢もあったはずなのに、それらをことごく蹴っている、あるいはそれらに気づかないでいる・・・。こういう言い方をすると誤解を招くかも知れませんが、敢えて言うなら、実際に盲目になってしまったのと同時に、自分が為すべきことに対しても盲目になってしまったのではないか・・・? そして、そう捉えることは実は、作り手側に不備を帰属させるのではなく、むしろ、その不備を主人公の考え方・判断におけるものとして、作り手側が意図的に描いたものだと受け取ることを意味します。

中には、この映画が死刑制度に対する問題提起をしているものと受け取る人もいるようですが、個人的には、それはないだろうと思ってしまいます。仮に問題提起をしているのだとしたら、その不備――作り手側のであろうと主人公自身のであろうと――のためにいずれにせよほとんど効果ナシだと言えるでしょう。

極論すれば、むしろこの映画における「死刑」は単に(?)、主人公の判断・考え方を問題にする(その是非を問う)ための一つの装置に過ぎないように思えます。

えーと・・・どうして半分しか観ていない映画の感想がこんなに長くなるんでしょうか?

*1:答えはもちろん×。でも、これって結構間違って理解している人、多いんじゃないでしょうか? 実際は、"The Lord of the Rings"――『指輪の主人/統治者/統べる者』。