映画版『笑の大学』と三谷コメディ

上では比較的さらっとした当たり障りの無いような感想しか書かなかったけど、でも実は、僕自身としては必ずしも満足し切ってはいないのであった・・・。その主な理由は、端的に言って、「笑い」の大きさや量は期待していたほどでは無かった、というもの。その中でも特に残念だと思ったのは、舞台版では実に象徴的かつ印象的だったセリフ、それまでの流れの中で観客の誰もが思うようになっているであろうある事柄について、登場人物である椿一に改めて明示的に言わせていたセリフ、そしてそれによって観客が一気に弾けるように笑えるはずの某セリフが、どういうわけか比較的すんなりと流されてしまっていた点。

実際、星監督自身、舞台版より笑いが少なかったことを口惜しがっていたらしい。しかしこの点に関して、脚本を担当した三谷氏自身はこう語っている(プログラム中のインタビューより)――「今回はコメディではない」、「あくまでもコメディを題材にしたシリアスなドラマのつもりで書いていたし、意図的に笑えるシーンやセリフを削ったところもあった」ため、笑いが少ないことに関しては星監督の言うほど「失敗だとは全然思っていないんです」。「シリアスなドラマだと思ってみたら、ものすごく笑いの多いシリアスなドラマなんで」。

うーん、どうなんでしょう――と思わず長嶋化してしまいそうになる。「意図的に笑えるシーンやセリフを削ったところもあった」というのが実に残念。「あくまでもコメディを題材にしたシリアスなドラマのつもりで書いていた」というのは、舞台版・映画版問わず、「この作品」のことだとするなら、舞台版にあった笑えるシーンやセリフを、映画版でどうしてわざわざ削る必要があったのだろう? 映画作品としての構成上とか、尺の都合上、などという理由ならまだしも・・・。それに、「シリアスなドラマだと思ってみたら、ものすごく笑いの多いシリアスなドラマ」であることに確かに間違いないけど、でも恐らく多くの人たちは、この作品を単に「シリアスなドラマ」だと思っては観ないだろう。そのことに関する自覚は、三谷氏自身にだってあるはず。なにせ、「自分は飽くまでも喜劇作家」というのが氏のスタンスだったはずだし、それどころか、自らそれを公言してはばからなかったのだから。だからどんなにテーマがシリアスかつ普遍的な作品であったとしても、「基本は飽くまでも喜劇(コメディ)」というスタイルは崩さないでいたのではなかったか。そして、だからこそ、恐らくそのギャップも手伝って、最後には思わずホロッと来てしまうのだし、テーマも明確に浮き彫りされることになっていた気がする。そのスタンスは、舞台版ではしっかり保たれていた印象が強い。それなのに、映画版になっていきなりそんなことを言い出すなんて、どうしてしまったのだろう? まさか、新選組!』の脚本執筆経験が氏に何らかの心境の変化をもたらしてしまったとか・・・?

とは言うもの、前にも書いたように、最後にはしっかり泣かされてしまうし、観終わった後はちゃんと「ああ、良い映画を観たな」という気分にもさせてくれるので、一般的な映画作品としてはもちろん合格だと思う。たとえば、「これを観て何とも思わない人とはお友達になりたくない」と公言しても差し支えないほどの出来上がりだと思う。でも、やっぱり三谷作品としては「もっと笑いを!」というのが、三谷ファンとしての偽らざる正直な気持ち。