『花とアリス』

さて閑話休題――しても結局「閑話」が続くわけだけど。

もとい。

前回の続き。「5本」の内の3本目は(あとの2本も含めて)突然変異的に岩井俊二監督作品『花とアリス』。知っている人は知っているように、この作品、もとはショートフィルムとして制作され(始め)たもので、以前、KIT KATの公式HPで公開されていた――のが一旦終了して今はまた再び公開されている。

http://www.breaktown.com/

ショートフィルム版についてはこのブログでもなぜか紹介したことがあった。TVCFでちょっと見かけた際に音楽が印象的だったので気になったのだ。で、そのショートフィルム版を観た時の感想は、「確かに音楽も良くて主役の2人――鈴木杏蒼井優――もイイ感じで、ストーリー的にはいささかたわい無い気もするけど、全体としては満足度の高い佳作フィルム」というものだった。それが映画化されると知った時は、ちょっとビックリ。新たに最初から撮り直すわけでも無さそうなので、シーンとシーンの繋ぎに有名どころのタレントをちょこちょこ出すだけだったりするのではないかと訝ったり。でも恐らく、基本線はそのままで、細かい部分を付け足すカッコウになるんだろうなと予想。いずれにせよ、わざわざ映画館まで行って観るまでもないかと侮っていた。

それが――良かった。存外に良かった。何となれば、ちょっとばかりこっぱずかしいのを我慢してでも映画館で観ても良かったかもしれないと思うほどだった。音楽も監督自身の作曲とあって、さすがにその抒情的な映像とマッチしている。「リリカル」ってこういうことかと納得。ストーリー的にも、ショートフィルム版の基本線にメインとなるある要素を付け加え、さらにもう少し細かい部分の肉付けも為されていて、全体としてちゃんと「映画化」しているように思う(やはり「有名芸能人」が何人も無駄に――例外アリ――出演していたが、それはご愛敬)。驚いたのは、「付け加え」によって同じシーンやセリフでも違ったニュアンスないし意味づけになっている部分があったこと。もしかすると、ショートフィルム版の中盤から後半にかけてはすでに映画版のストーリーを念頭に置いて作られていたのかもしれない。つまり、映画版がショートフィルム版にいくつかの要素を「付け加えた」ものなのではなく、むしろショートフィルム版が(全体としては)映画版からいくつかの要素を「差し引いた」ものなのかもしれないということ。実際、そう考えた方がシックリ行く部分もある。しかし仮にそうだとすると、編集の力ってスゴイなと改めて実感するハメに。

こういう雰囲気の作品に対しては、やもすれば、僕自身も含めてある種の人たちは拒否反応を示しがちだと思う。「主要登場人物は『自分だけが繊細で傷つき易く、大人社会の渦に流され(かけ?)ている犠牲者で、そんな自分の気持ちなんて他の誰も分かってくれないのだから何を言っても無駄だ、どうせ・・・』といった昨今流行の陰鬱ボソボソ系*1で、こっちとしては興味も何もないようなそんな奴らの身近な出来事をちまちまと追うだけのストーリーなんだろう」式の印象を抱いてウンザリした気分になるからだ。でも、少なくともこの作品に関してはその心配は無い。確かに、主張登場人物3人の内の唯一の男の子は一見それ系にも見えなくもないが、実際には別段気になる程ではない(と言っても、全くイライラしなかったというわけでも無いが・・・)。

ただ、あるいはそれは、鈴木杏演じる「花」と、蒼井優演じる「アリス」のキャラの雰囲気に助けられているせいなのかもしれない。特に、アリスが良かった――というより、アリスを演じた蒼井優が良かったと言うべきか。特に、芝居の細かい部分がとっても良い。この作品を観て彼女のことが気にならない人なんてそういないのではないか、と試しに言ってみる。でも実際、特に後半なんて正に「彼女のための映画」って感じだった。鈴木杏(演じる花)のキャラは、結果的に完全に蒼井優(演じるアリス)の引き立て役になっていたような・・・。

ちなみに、このタイトルを読む時のアクセントの位置って、最初は何の疑いも無く「はとありす」と読んでしまいがちだけど、でも本編を観た後はちゃんと(?)「なとありす」と読める(そう読むのが自然だと思う)ようになるはず。お気に入りのシーンもたくさんあるし、観終わった後はなんだか爽やかな気分になるしで、その意味でも、何度も言うけどこれは歴とした「映画」になっていると思う。

(追記:あれ、何かちょっと無駄に長過ぎたかも・・・。)

*1:勝手に命名してみました。