本の感想ってもしかして久しぶり?

人間界では全く浮かばれなかった昆虫&本格ミステリィ好きの葉古小吉は、「物語の神様」によって(!?)なぜかゴキブリに姿を変えられ、これまたなぜかクマバチの名探偵シロコパkの助手として事件の解決に尽力することに。

依頼虫(にん)から持ち込まれる様々な事件。ただ、その動機も方法も昆虫界に特有の論理によって支配されているため、推理と解決に至る道筋もまた独特。一応、それぞれ関係虫(しゃ)の性質などは説明されるため、読みながら推理しようと思えば出来ないでもないんだろうけど・・・・・・。でも考えようによっては、SFミステリィのような「世界構築型」のミステリィだと言えるかも。事件を追いながら、マニアックな昆虫たちのマニアックな性質を知ることが出来るのも楽しい。

ちなみに七話構成になっていて、それぞれたとえば、「哲学虫の密室」(笠井潔『哲学者の密室』)、「生けるアカハネの死」(山口雅也『生ける屍の死』)、「ジョロウグモの拘」(京極夏彦『絡新婦の理』)などのように、日本の代表的な本格ミステリをパロったタイトルが付けられている。昆虫&本格ミステリィの両方が好きな人には堪らない作品ではあるだろうけど、いくら世間広しと言えども恐らくそんな人はそう滅多にいないはず。でも多分、どちらか一方が好きなら充分楽しめると思うので、ご安心を。

第三巻までは、大正時代、松蔵の少年期が舞台だったけど、この巻からは*1松蔵の青年期が舞台となる。昭和初期、東京の街はモボとモガ(モダンボーイとモダンガール)が闊歩する華やかさに溢れていたものの、軍部が入り込んだ政治周辺には太平洋戦争前夜のきな臭い雰囲気が漂い出していた。昭和史に残る事件に絡めながら、天下の義賊・目細の安吉一家の「一文にもならない」裏の活躍を、現代の天切り松による昔がたりを通じて描く。いわゆる「仕事人」ではあるけど「必殺」じゃない――つまり、決して殺さない。その点ではむしろ、(宮崎駿版?)ルパン三世一味に近いかも。と言っても、その心意気は決してそんなに軟弱なものではない。

時代や国に翻弄される人々の、そして時には自分たち各々の切なくも理不尽な境遇に、江戸っ子気質の矜持を以て立ち向かう安吉一家。彼らをはじめ、関わる人たちのどこまでも真っ直ぐな心意気や、やるせないまでの心根の強さと優しさとに、幾度となく胸を締め付けられる。前巻までは大正浪漫の、そしてこの巻では昭和初期のモダンな雰囲気が存分に味わえるのも、このシリーズの魅力の一つ。

第一夜「昭和侠盗伝」では、松蔵がいよいよ「天切り松」という二ツ名をある人物に付けてもらうことに。この話は、以前このシリーズが2時間スペシャルでドラマ化された際に使われていた。そのドラマでは、松蔵の青年時代も現在も、両方とも前・中村勘九郎が演じていたけど、やっぱりどうしても貫禄が足りない気がしたというのが正直な感想。松蔵の青年時代を今演じるなら、ベタではあるけど長瀬智也がピッタリだろうし、昔がたりを聞かせる現在の天切り松をやるなら・・・・・・思い付かない。強いて言うなら、今は亡き勝新太郎――なんだけど。貫禄の点では、やっぱり彼くらいしか思い浮かばない。あと、なんだかリアルに闇がたりが出来そうだし。ついでに言えば、目細の安吉親分は渡辺謙がやっていたように思うけど、むしろそれこそ、その二ツ名通り目の細い岸谷五郎あたりが良かったのではないかと。

浅田次郎の小説には、読んでいて思わずハッとするのと同時に(どんなに途中でも)本を閉じ、そのまましばらく余韻に浸ってしまうような、儚くも切ないながらもひたすら美しいシーンが必ずと言って良いほど出て来る。今回の場合は、たとえば第五夜の、そのエピローグにあたる部分のラスト一行。それがたまたまこの巻自体のラストでもあったから、再び本を開く必要もなく、いつまでもその余韻に浸っていることが出来た。

*1:恐らくまだ続いてくれるものと期待して。どうか、昔がたりの中の松蔵が現在の彼自身に追いつくまで――。