永井均 『シリーズ・哲学のエッセンス西田幾多郎 とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)』(NHK出版)

正直、西田は読んだことが無かったので、というか、無かったのに、「永井が西田?」と意外に思ってしまっていました(つまり、そもそも意外に思うための基本情報すら持っていなかったのに、ということ)。でも、読み始めてすぐ、全く意外でも何でもなかったことを思い知りました。無理矢理スローガン的に言うなら、「自我論としての無我論」――正にこの点において、永井は西田に、自らと通底する問題意識を見て取っており、それゆえ、これまでの彼による「解説書」のスタイルと同様、西田を使ってちゃっかり自らの哲学を展開(あるいは少なくとも開陳)しているわけです。

自我が成立する以前の、それゆえ「私と汝」が成立する以前の、さらにそれゆえそもそも言語が成立する以前の、主客未分・主客合一の「<絶対無>の場所」、そしてそこから自我が成立するに至るプロセス――そうした(永井自身の用語 in 『私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)』を使うなら)「開闢」的な事態について、つまり、本来なら「語り得ぬ」はずの事柄について、何とか語ろう(あるいは野矢茂樹 in 『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫)』風に言えば、「語り続け」よう)、捉えようとする試み。永井は最後の方で、私が私を「私」という語で再帰的・反省的に捉えることができるようになる理由について、次のようにまとめています。この箇所だけでも、彼が自らの哲学を西田哲学に重ねていることがよく見て取れて、印象的です。

それは私が、以上に述べてきたようなプロセスを通じて、場所である私と個人(自我)としての私を、絶対無と相対無を、<私>と「私」を、一挙に同時に捉えることが可能になったからなのである。繰り返して言うが、これはほとんど奇跡的な事態である。(p.97)

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第三章では、田辺元による西田哲学批判が採り上げられているんですが、それについての永井による評価がちょっと興味深かったりするわけです。全部引用すると長くなってしまっていろいろマズそう(?)なので、最後の部分だけ――。

同じ言葉を使って議論をしても、西田はつねにそのとき通じているその言語の成立の手前で考えているのに対し、田辺はすでに立派に通用している言語の上にたって、そこからあらゆるものごとを考えている――そしてその「あらゆるものごと」のなかにはこのことも含まれる――からだ。(p.84。強調は永井自身による。)

仮に永井が、西田に自分を重ねているとすると、田辺に重ねている人物も自ずと推察されるわけで、特にこの引用の直前の部分なんかと合わせると、実に見通しが良くなる気がします。「まあ、たぶん、そういうことなんだろうな」、と・・・・・・。

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実はつい最近、必要があってたまたま大森荘蔵流れとよどみ―哲学断章』を読み返していたせいで、最初(飽くまでも最初だけ)はどうしても「立ち現れ一元論」の元ネタ(?)を読んでいるような気がしてなりませんでした*1。実際、大森はもちろん西田を読んでいて、たとえば『時は流れず』に収録されている「主客対置と意識の廃棄」の章の書き出しはこうです。

 主観-客観という対置概念は、かつて西田幾多郎が西洋思想の極悪犯人として厳しく論難したように、一時は手配人相書きのトップに置かれた観があった。(p.170)

ただ、とはいえ大森が主客対置の問題をとりあげるのは、「西田の尻馬に乗るなどという意図からなどではない」(同)*2とのこと――。

詳細については措くとして、大森自身は必ずしも西田哲学に共感していたわけでもないのかもしれません。「主客未分とか合一とか言うこと自体、すでに主客対置の呪縛に与している」(p.185)という見解を述べる際、彼の念頭には西田哲学があっただろうことは想像に難くないような気がします。西田哲学と大森哲学の関係、というよりもむしろ、大森による西田哲学評については若干興味が無くもありませんが、でも実際には、たぶんこれ以上この件に関わることはないでしょう。

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以上、何だか単に「出歯亀」*3的な感想文になってしまいました・・・・・・。

いずれにせよ、この本が「西田哲学」の正統な解説書ないし入門書であるかどうかは、僕自身としてはどうでも良いので、その意味では、(最初にも言ったように)別角度からの永井自身による「永井哲学」の開陳として、相変わらず面白く読めました。

ついでに、「自我論としての無我論」という「語り得ぬ」事柄についてのもう一つの(超!?)形而上学な――それなのにどういうわけか、比較的「理解」し易い!?――語りとしては、同シリーズの、入不二基義ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス)』が挙げられるかもしれません。

追記id:charisさんがこの本の解説を(連載形式で)して下さっているようなので、興味がある方はそちらを読まれた方が余程有益かと思われます。

*1:「解説者」である永井自身が、「解説」上の参考までに大森を多かれ少なかれ意識して書いているから、という可能性もなきにしもあらずだけど。

*2:「など」が重複していますが、これは本文のままです。

*3:そういえば「出歯亀」っていう言い方はどこから来てるんだろう、とふと思ったので調べてみたら、ちょっと面白かった。さすがはウィキペディア・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E6%AD%AF%E4%BA%80