"Causes of death of philosophers" Part6

http://www.dar.cam.ac.uk/%7Edhm11/DeathIndex.html

何だかんだで惰性で続けている感のある第六回目*1。今回もやっぱり三つ。

* * *

  • Einstein: Diced with God
    • アインシュタイン:「神とサイコロ(博打)をした」・・・「命」を賭けたんでしょうかね。で、負けちゃったと。でもそれ以前に、神はニーチェに負けたはずでは(「神は死んだ」)。まだ生きてたなんてズルイぞ神。
    • A. Einsteinは、言うまでもなく「相対性理論」で一世を風靡した人ですが、ノーベル物理学賞は「光量子仮説」で受賞しています。この仮説は量子力学の発展に大きく貢献することになるのですが、皮肉なことに、アインシュタイン自身は量子力学を断固として認めませんでした。「シュレディンガーの猫」に代表されるような観測問題、つまり、出来事は確率的な現象としてあるに過ぎず、観測されることによって初めてそれに確定的な描写が与えられるようになるのだとの考え方に、懐疑的だったからです(とはいえ彼自身も、時間や空間は絶対的なものとして存在するのではなく、飽くまでも観察に相対的なものに過ぎないとは考えていたわけですが・・・)。その苛立ちを代表するのが、ある会議での「神はサイコロを振らない」という発言です。
  • Galileo: Stopped moving
    • ガリレオ:「動くのを止めた」・・・「死因じゃない」シリーズの第何弾? 何かこの言い方だと、直前までバタバタともがいていて、突然パタッと「動くのを止めた」かのような印象を受けます――苦しんだのでしょうか。
    • G. Galileiは、恐らく大抵の人が、「ガリレオ・ガリレイ」というお茶目な響きの名前に幼心をガッチリ掴まれたであろう人物ですが、天文学者であり物理学者でもあると同時に、哲学者でもあったようです(というより、当時はそもそも、科学と哲学、宗教の区別なんてそれほど無かったみたいですね)。自由落下の法則を象徴するピサの斜塔での実験(ホントにやったのかどうかは不明)や、「それでも地球は周っている」という言葉(ホントに言ったのかどうかは不明)など、もっぱら科学者としての側面だけが有名です。そしてmovingはその象徴、と。
  • Gettier: Fatal counter-example
    • ゲティア:「致命的な反例(を出された)」・・・文字通り「致命的」だったんでしょう。しかし、反例によって自分自身の存在自体に決定的なダメージを受けるとは・・・一体どんな「反例」だったんでしょうか。
    • E.Gettier, Jr.は、論文「正当化された真なる信念は知識だろうか」(in 『知識という環境』、名古屋大学出版会、森脇康友 編 ASIN:481580298X)において、「知識とは、正当化された真なる信念のことである」という、認識論ないし知識論における伝統的な見方に対する反例を提示しています。この反例をどう受け止め、どう克服(あるいは少なくとも対応)するかというのが「ゲティア問題」です。この問題に対してはいろいろな哲学者たちがいろいろな対処法を提案していますが、その成功・失敗についてはさておき、いずれにせよ古典的な認識論ないし知識論に対する大きな揺さぶりとなっていることは確かです。で、最期には自分自身が(彼の存在理由に対する!?)決定的な反例を受けちゃたみたいですね。因果応報というか・・・。

* * *

連続何回続くでしょうか。

*1:2003-11-8の企画趣旨説明、参照。