"Causes of death of philosophers" Part11

http://www.dar.cam.ac.uk/%7Edhm11/DeathIndex.html

いい加減に疲れて来た第11回目*1。再び1項目だけ。

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  • Kuhn: Paradigm lost
    • クーン:「パラダイム(模範/方法論)の喪失」・・・正直、これを「死因」と結び付けるのは個人的にはかなり困難です。「パラダイム・ロスト」という表現自体は、たとえばニコラス・ルーマンの著作などにも見られるようですが、仮にそれと掛けているのだとしても、たとえば「生き方の模範を失った」として強引に解釈するしかないでしょうし、あるいは「Paradise Lost失楽園」と掛けているのだとしたら・・・かなりの読み込みが必要でしょうが、生憎、そこまでの教養は持ち合わせていないので。
    • T. Kuhnは何と言っても、『科学革命の構造』(みすず書房、中山茂 訳 ASIN:4622016672)で「パラダイム(paradigm)」という概念に基づく独自の科学観を提示したことで良く知られています。パラダイムとは、ある一定の専門領域の科学者集団の中で共有されている、普遍的な理論だとか背景的な知識、価値観、規範ないしテクニックなどといった、様々な要素から複合的に構成されたものの全体を指します。そしてこれこそが、科学的活動の中心的な構成要素としての科学者集団の維持=再生産機能を持つ、と考えられました。ですからその意味では、パラダイムは、科学という知的活動を他の知的活動と区別するためのいわば境界設定の基準でもある、と言えるでしょう。つまり、ある知的活動が科学であるのか否かは、その中にパラダイムが存在するかどうか、あるいはむしろ、その活動における知が同一のパラダイム上で累積的に発展しているものか否かによって決まる(つまり、いわゆる疑似科学にはそうした特徴が見られない)、というわけです。ただクーンは、異なるパラダイム同士は互いに共約不可能であるために、科学が複数のパラダイムを通じて累積的に発展することはない、と考えます。この点だけでも、科学者や科学史家などから相当な批判を受けたようですが、さらに、それが拡大解釈され、「パラダイム」という語もかなり広い意味で使われるようになり、果ては、「世界を理解するための枠組み(特に言語など)が違う同士は、そもそも住む世界が違うのだから、互いに理解し合うことなど根本的に不可能なのだ」という考え方として捉えられるようになると、受け容れ難い極端な相対主義だとして、一般の哲学者たちからの批判の対象にもなりました。いずれにせよ、実際クーンは、各方面からの相次ぐ批判や誤解に基づく非難などに苦しんだらしいので、「パラダイムの喪失」というよりもむしろ、「パラダイムという概念自体」が「死因」になったとも言えなくもないかも。

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『科学革命の構造』の翻訳を巡っては、何だかいろいろ「論争」がある(あった?)ようで、いつか機会があれば、それについて簡単なコメントを書こうかどうか考え中。

*1:2003-11-8の企画趣旨、参照