「『日本の大人は未熟』か?」

電車の中で、某週刊の漫画雑誌を読んでいるおじさん(必ずしもサラリーマン的な格好をしているとは限らない)を見た時にふと思い出すことがある。

外国人(たとえばアメリカ人だとしよう)が「日本に来て驚いたことは?」とか何とかいうお決まりの質問に対して、よく、

「電車の中で大人が(堂々と)漫画を読んでいるのを見てビックリした。アメリカではそんな大人はいないのに」

と言っているのを聞く。そしてまたそれに便乗して、「だから日本の大人は(外国の大人に比べて)未熟なんだ」とか何とか言う日本の大人たちも出て来る。

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でも、この結論(以下、「結論A」と呼ぶ)を導くためには、少なくとも次の2つの前提が両方とも成り立っていなくてはならないはずだ。

1) (たとえば)アメリカでも、質量共に日本と同じくらい漫画が広まっている。
2) そもそも漫画というものは一般的に、子供向けであるか、あるいは単に下らないものであるかのいずれかだ。

この内のどちらか一つだけでは十分ではない。

  • まず、1は成り立っているが2は成り立っていない場合。
    • どちらの国でも、質量共に同くらい漫画が広まっているのに、一方の国では電車の中で大人が読むのに対して、他方の国ではそんな大人はいない。となると、当然、その要因において何らかの違いがあると考えられることとなる。しかしそうだとしても、前提1により、その要因は少なくとも漫画自体の質や量には求められない。となると、たとえば「国民性」といったものの内に見出したくなるだろうが、しかし仮にそうだとしても、前提2が成り立っていないと想定しているので、少なくとも「子供っぽい」とか「未熟」だとかいった評価を下すことは出来ない。結局、もっと別の所に要因を求めるしかない。
  • 次に、2は成り立っているが1は成り立っていない場合。
    • 一見、これだと、「やっぱり日本の大人は未熟なんだ」という帰結が導けそうに思えるかもしれないが、それは明らかに誤解である。なぜなら、前提1が成り立っておらず、漫画人気は日本の方が圧倒的だと想定しているのだから。つまりこの場合、「もし仮にアメリカでも漫画が日本と同じくらいの人気であったなら、やはり日本と同じ様な現象が見られるかもしれない」と言える余地があることになるわけだ。要するに、そもそも分母の違いを考慮に入れなくてはならないだろうということ。

よってこのことから、電車の中で大人が漫画を読んでいる現象を観察することから結論Aを導くには、やはり少なくとも前提の1と2とが両方ともに成り立っている必要があることがわかる。

ではまず、前提1は成り立っていると言えるだろうか? ――残念ながら具体的な統計データは示せないが、これはまあ、Noと言って良いだろう。

従ってすでにこの時点で、結論Aは誤りだと言えたことになる。

でもついでなので、前提2についてはどうだろうか? ――もちろん、子供向けの漫画もあるだろうが、子供向けだからと言って(そしてそれを大人が読んだからと言って)一様に「低レベル」だと決めつけることは出来ない。そしてまた、もちろん、どうしようもなく下らないものも多々ある。しかしその一方で、中には、少なくともヘタな小説なんかよりもよっぽど質の高い漫画だってある。教訓は、安易に一般化することは出来ない、ということ。

いずれにせよ、以上により、「電車の中で大人が漫画を読んでいる現象を観察することから直ちに結論Aを導くことは誤りだ」ということが示された。

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:上の議論には通らない箇所がある。その箇所を的確に指摘し、批判せよ(ただし、具体的な統計データを示していない点は除く)。