"Causes of death of philosophers" Part16

http://www.dar.cam.ac.uk/%7Edhm11/DeathIndex.html

第何回目だかスッカリ忘れてしまうほど久々な第16回目*1

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  • Ramsey: Made redundant
    • ラムジー(ラムゼイ):「余計なものにされた」・・・のけ者扱いされて死んじゃったってことでしょうか・・・。
    • 哲学では伝統的に、真理とは何かについて延々と考えられて来ました。その中でも典型的な考え方は、「言われた事(命題)が実際に事実と対応していることだ」とする「真理の対応説(the correspondence theory of truth)」でしょう。しかしF. Ramseyは、論文「事実と命題」において、真理については独立の問題などなく、そこには単に言語上の混乱があるだけだという見方を提示しました(実は、これがラムジー自身の積極的な説であるのかどうかはビミョーらしいのですが)。たとえば「シーザーが暗殺されたということは真である」という文は、単に、シーザーが暗殺されたということを意味しているに過ぎず、「彼が言うことはいつも真である(正しい)」という文の場合には、「すべてのpについて、彼がpと言うならpは真である」に分析出来るため、結局のところ、すべてのpについて、彼がpと言うならpだということを意味していると考えられるわけです。従ってこのように、真理概念は余計であり、そもそも消去可能なのだとする考え方は、「真理の余剰説(the redundancy theory of truth)」と呼ばれます。ちなみに、対応説と余剰説との違いは、前者が、命題と事実との間の対応という観念を真剣に受け取っている一方で、後者は、そもそも事実は言語によって命題的にのみ表現されるとの見方を採り、「命題と事実との間の対応」という観念を退けている点にあると言えます。さて死因ですが、真理をのけ者にした罰で、自分がのけ者にされてしまった・・・?
  • Rawls: Unveiled
    • ロールズ:「正体を暴かれた(ヴェールを剥がされた)」・・・漫画やアニメの設定では良くありますよね、こういうの。
    • J. Rawlsは『正義論(A Theory of Justice)』で、社会における正義を規定するための原理、いわゆる「正義の二原理」(自由原理と、格差原理および公平な機会原理)を導く際の道具立てとして、「原初状態」というものを想像するよう求めます。原初状態というのは、誰もが自らの個人的な事情(社会的な地位や価値観など)については全く知らない、つまり一人一人が「無知のヴェール(veil of ignorance)」を被せられている状態のことです。ただし、「生きる上で誰にとっても望ましい物事」にはちゃんと価値を見出すものとされます。こうした状態にある個々人は、自己利益の追求という営みから解放され、公平な立場で社会に関わることになるでしょう。要するに「原初状態」というのは、個々人がその状態にあるような社会のあり方こそが、どのようなものであれ正義が実現している状態であるはずだとの想定の下に持ち出された、飽くまでも想像的・理論的な装置に過ぎません。原初状態としてどのような設定を採るかによってどのような「原理」が導けるかも変わって来るでしょうが、そうした一応の「原理」と僕らの通常の見方や判断とをつき合わせてみて最終的に一番上手く合致した状態は、「反省的均衡(reflective equilibrium)」と呼ばれます。つまり、反省的均衡状態における「原理」こそが、最終的に正義の原理となるだろうというわけです。というわけで死因ですが、無知のヴェールを剥がされて自分自身の置かれている状況を知ってしまった彼は、一体何を知ってしまったんだか知りませんが、ショックのあまり・・・?

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こんな感じで良かったんだっけ?

*1:2003-11-08の企画趣旨説明、参照。