愚痴って他力本願

Michael Dummettの近刊本です。

"History of Games Played With the Tarot Pack"

ええと、間違いではありません。確かにアノ、ダメットです。言語哲学ないし分析哲学者がタロットにハマってたってイイじゃない。

彼の書いたタロット本には、共著の"A History of the Occult Tarot"や、それ以外にも次の3冊(たぶん)があるようです。

その間にも当然、Frege本を始めとする哲学関係の本もたくさん書いているわけで・・・・・・アンタは森博嗣かと(いや、むしろ逆か、時間的に)。

それはそうと、日本語で書かれたものにはまだ、ダメットの哲学を広く紹介しているものがほとんどないですよね。去年亡くなったデイヴィドソンの方は、翻訳だけど、

サイモン・エヴニン『デイヴィドソン―行為と言語の哲学』(宮島昭二 訳)

という良質の研究書があるし、何より、

飯田 隆『言語哲学大全Ⅳ 真理と意味』

があります。ただし後者は、デイヴィドソンの哲学そのもののについての解説・研究書というよりも、著者本人も言っているように、「意味の理論」におけるデイヴィドソンのプログラムを日本語(断片)という具体的な言語に適用してみることによって、このプログラム自体の哲学的な背景や正当化の射程を探ることに主眼がおかれているため、限定の上にも限定を重ねたものではありますが。

で、この『言語哲学大全Ⅳ』が曲者で、当初の予告では、「意味の理論」を巡るデイヴィドソン(modest派) v.s. ダメット(full-blooded派)の熱い論争が扱われるはずだったにもかかわらず、蓋を開けてみればコレで、結局ダメットの論点に触れてあるのは実質数ページ足らず・・・・・・そりゃないっすよ。

ようやく日本語で、ダメットによるデイヴィドソン流の真理条件的意味論批判と、意味の理論はfull-bloodedなものでなければならないという彼自身の積極的な議論とを巡る詳細なサーヴェイが読めると思ってたのに、正直かなりガッカリ(著者自身も、ある種の読者にこうした感想を持たれるだろうことには充分自覚的ではあるようなんですが、「確信犯」*1的な開き直りをされてもなあ・・・)。

ダメット自身は自分の著書で、折に触れ「意味の理論はどのようなものでなければならないか」について、あるいはそれに関係する考え方について、延々と書いているにもかかわらず、それをデイヴィドソンに好意的な人が紹介するとホントに陳腐な考え方であることになってしまって、つまんないです。それは、エヴニンの本にも言えること。このままでは、日本語での読者に対してフェアじゃありません。もうそろそろ、ダメットの考えを積極的に採り上げて、もうちょっと深く掘り下げた紹介なり解説なりをしてくれる日本語文献が登場したって良いのでは?

ちなみに英語文献には、モロにそのテーマをタイトルに掲げた本が出てますね。

Darryl Gunson "Michael Dummett and the Theory of Meaning (Avebury Series in Philosophy)"

目次を見るだけでソソられてしまいます。ホントは日本人研究者が書いてくれるのが一番有り難いんですが、最低でも、たとえばこういう本なりを誰かが翻訳してくれたらなあ・・・。


ダメットのタロット本からこんな愚痴にまで(今さら!)発展してしまって、飯田さんにはとんだとばっちりだったかも。

*1:敢えて、いわゆる「誤った」意味で遣ってます――便利なので。