『ユージュアル・サスペクツ』

「大どんでん返しのある傑作サスペンス映画」としてそのタイトルだけは知っていたのだが、なぜかこれまで観ることはなかった。ひねりの効いたサスペンスものでも借りようかと思っていたところでたまたま目についたため、今回ようやく観ることが出来た。

展開の構造が把握できていない最初の方は、時系列がやや分かりづらくて混乱するのだが、しばらくすると掴めてくる。でも、「カイザー・ソゼ」とは何者なのか、そもそも実在するのか、が最大の謎となって来るその頃には、哀しいことにすでに見当がついてしまって、そして実際その通りになって、最後にむなしい気持ちになる・・・。

もちろん、ミステリィないしサスペンスものの小説や映画一般に関して言えば、途中で「真犯人」の見当がついてしまったからといって必ずしもその作品自体を楽しめなくなるとは限らない。確かに、折角の仕掛けに純粋に驚くことが出来なかったことは残念だし、勿体ないことをしたとは思うんだけど、でもそれだけでは「むなしさ」は感じない。「むなしい気持ち」になるのは、このタイプの手法が持つ特有の性格ゆえ。サスペンスものの(小説ではなく)映画で大どんでん返しをしようとしたら、やっぱりこの手法しかないんだろうか? 同じ手法を縦横無尽に使った某サスペンス映画を(やっぱりDVDで)ちょっと前に観た時も、観終わった後で何とも言えない「むなしい気持ち」になった覚えが*1

ただ、ラスト、「カイザー・ソゼ」の正体が明らかになるシーンから終わりにかけての部分は、シーンとしては良かった。そこに至るまで何も気づかないでいたとしたらさぞかし衝撃を受けただろうと思うと、心から残念なことをしたと思う。これほど多くの人たちに絶賛されている映画を、そして実際のところ非常に良く出来てはいる映画を、純粋に楽しめなかったなんて、ホント、悔しい以外の何ごとでもない。こういうタイプの作品て、ある意味では、結局は「騙されるが勝ち」だから・・・。

*1:ちなみに、同じこの種の手法でも、最後に大どんでん返しを仕掛けるためにではなく使われている作品はいくつかあるが、そうした作品なら「むなしい気持ち」になることは全くない。