『ジャッカルの日』

以前、『悩み多き哲学者の災難』という小説を読書中と書いたけど、それ以後何の感想も書いていないのは、「読まなかったこと」にしたから。いわゆるサスペンスなのかと思いきや実は全くそんなことはなく、主人公が哲学教授であることのポイントも特に見当たらず、哲学ジョークもそれ以後特に出てくるでもなく、しかも肝心なラストがあまりにもストレートな展開であるため、わざわざこの作品を翻訳出版した関係者の方々の意図を察しかねた温厚な僕は、さすがに本を捨てるのは忍びなかったので、他人様に無料で差し上げようとしたほど。

――と、わざわざそんなことを最初に書いたのは、その反動もあって、手っ取り早く「ドンデン返しのあるサスペンス」を楽しみたいという衝動に駆られて借りたDVDの1つがこれだったから(そしてもう一つがこの次の作品)。ドゴール大統領暗殺計画を進めるコードネーム「ジャッカル」の行動を追った作品。結果、サスペンスはサスペンスだったけど、期待の「ドンデン返し」は見事に無かった。ある意味これも、「あまりにもストレート」。唯一、映画自体のラストはちょっとした「意外な真相」が明らかになる場面ではあるかもしれない。しかしそれは、いわゆる「ドンデン返し」ではない。「えっ、そうだったの?」とは思うが、しかしそれは決して「衝撃」の類ではなく、そのエピソード自体は実は「ジャッカル」についての追い打ちを掛けるような特徴づけという性格を持ったものに過ぎない。

原作は読んでいないが、少なくとも映画版では、警察側が「ジャッカル」を追いつめて行く際の詳細な過程はあまり描かれていなかったような印象を受けた。特に、肝心の最後の方とか。その辺りは流れ的に察してくれということか。いずれにせよ、観客の感情移入を一切許さないかのような「ジャッカル」の描き方がポイントだったような気がする。主人公である「ジャッカル」の行動を追っているはずなのに、観ている側としては、彼が今やっている一連の行動が次にどう繋がるのか、何のためにそうしているのか、それは本当にそのつもりなのか、などといった判断が全くつかず、そして後で「あの行動はこのためのものだったのか!」と納得する。だからその意味では、確かにストーリー全体としてはストレートだったかもしれないが、部分ごとに捉えるなら、「ジャッカル」の一連の行動には「謎あり伏線あり解決(=伏線の回収)あり」で、実にサスペンスフルだったと思う。だから、その意味では本作品は、先述の「サスペンスまがい」小説とは違って、紛れもないサスペンス作品だと言える。