『太陽がいっぱい』

どんなに映画に疎い人でも、このタイトルと「アラン・ドロン」の名前だけはすぐに結び付けられるのではないかと思えるほど有名な作品。ちなみに僕自身がその実例だったりする。にもかかわらずこれまでに全く手を着けよう(=観てみよう)としなかったのは、「アラン・ドロンという人は当時の女性たちにとってのアイドル的存在で、彼はこの作品でブレイクしたらしい」といった知識(?)が邪魔していたから。それは、今で言えばたとえば、「ペ・ヨンジュンという人は日本の特定の女性たちにとってのアイドル的存在で、彼は『冬のソナタ』というTVドラマでブレイクした」といった知識ゆえに『冬のソナタ』を視てみようという気が全く起きないのと(個人的)事情は全く同じ。「所詮、男性アイドル映画でしょ?」的に侮蔑していた部分も正直あったかもしれない。さらには、『太陽がいっぱい』というこのあまりにもお気楽極楽そうなタイトルから受ける印象とも相俟って、長い間避けて来たのだった。

それでも、「衝撃のラスト」が待つサスペンス作品らしいことはうっすらと聞き知っていたため、「ドンデン返しのあるサスペンス」を楽しみたかった気分と相俟って、思い切ってレンタルしてみたのだった。その結果。

――やられた!

もっと早くに観ておけばよかった。先入観のバカ。このラストは有名で、近年になってから観る人はすでに情報としては知っていることが多いらしいのだが(この辺りの事情は、アガサ・クリスティの一連の作品――特に『アクロイド殺し』や『オリエント急行殺人事件』など――みたいだけど)、僕自身に関して言えば、幸いなことに事前に全く何も知らずにまっさらな状態で観ることが出来た。確かに、後半に行くに連れて「どう収束させるのか」を考え出すようになると、何となく「落とし方」はこうかなという見当は付かない訳でもない。しかし、そこは巧みな「見せ方」によってうまく惹き付けられてしまった。それに、最大の見所はその「瞬間」というよりもむしろ、その後のラストシーン。なんとシャープかつエレガントなことか。今さら僕なんかが言うまでも無いだろうことは先刻承知の上で、やっぱりあそこは名シーンだと心底納得した。同時に、タイトルについても納得した。

いわゆる「図地反転」タイプの「ドンデン返し」ではないけれど、主人公と、そしてその主人公に感情移入している観客とにとっては紛れもない「ドンデン返し」が待ちかまえている。映像も、そして、控えめでありながらも印象な音楽も素晴らしい。「アイドル映画」とはあまりにもほど遠かったけど、最後の方のアラン・ドロンの顔のアップ――確かにあのシーンの彼の表情や目つきは格好良すぎる。当時「痺れる」女性が続出したのも頷ける。試しにペ・ヨンジュンの顔と並べてみるのも一興かもしれないが、想像するだけで脳内大爆笑なので僕自身は実際にやってみる気など毛頭ない。そんなことはともかく、「名作」の名作たる所以を実感出来たことは実に喜ばしい。