『約三十の嘘』

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騙し騙され、裏切り裏切られの連続で、最後にはアッと驚くどんでん返し――というストーリーを期待していると肩すかしに遭うかも。詐欺師たち同士の人間関係の話で、確かに「騙し騙され、裏切り裏切られ」という要素は入っているものの、なぜか物足りなさを感じた。展開のテンポは必ずしも印象ほども良くはないし、ラストのまとめ方の緩さも関係しているのかもしれないが、でも原因はもっと根本的な所にあるとようやく気づいた。

いわゆるミステリィないしサスペンス作品においては、多くの場合、ある登場人物Aが別の登場人物B*1を騙すというストーリーが展開される際には、そこでは単に「AがBを騙す」トリックが仕掛けられるだけでは充分ではない。それが同時に、「作者が視聴者・観客・読者を騙す」トリックでもある必要があるのだ。ただし、いわゆる倒叙もの(「コロンボ」、「古畑」系)の場合は例外で、犯人が警察を騙そうと仕掛けるトリックは予め視聴者・読者に提示されていて、視聴者・読者はむしろ、探偵役(?)の警察がそのトリックをどう見破るかというその過程を楽しむことになる。でもそうしたタイプ以外の作品の場合には、作者は作中のAといわば共謀することによって、視聴者・観客・読者を同じく作中のBと共に騙すという趣向が展開されることになり、そして視聴者・観客・読者は正にそれを楽しむわけだ。

そこへ来て、本作品を少なくとも一種のミステリィ的趣向の作品としてはあまり楽しめない根本的な要因はと言えば、決して倒叙もの的な展開ではないにもかかわらず、観ている側が登場人物(たち)に騙されているような感じがしない、という点にある気がする。確かに劇中の登場人物たちは、互いに騙し騙されをそれなりに繰り広げてはいるのだが、(製作者側は)観客の側に対しては特に勿体ぶることもなく比較的アッサリと真相を提示してしまう。「そうだったのか!」と驚く余地をほとんど与えてはくれない。そしてなんとその後で、ある登場人物がやっと仕掛けに気づいて・・・という展開。最後に来て倒叙もの的な組立になる、と言えなくもないが、しかしそもそも観客の側には、特にこの登場人物の視点から事態を眺めるような用意など全くない。それまでの展開の中では、どの登場人物も比較的対等に描かれていたからだ。

とにかく、一種のミステリィ的趣向を持った作品として観ようとすると、正直、製作者側が一体何がやりたかったのかさっぱり見当がつかないのだ。一体観客に何を楽しんでもらいたかったのか・・・。最初に「ラストのまとめ方の緩さ」と書いたけど、その印象は飽くまでも、本作品をミステリィ的趣向を持った作品として捉えた上でのものに過ぎない。でもむしろ、本作品は、単に「様々なキャラクターを持った登場人物たちの集まりの、分裂と再生」をテーマにした純粋な群像劇としてのみ評価されるのがフェアなのかもしれない。そうすれば、ミステリィ的にはどっちつかずの中途半端な趣向も特に欠陥としては見なされないだろうし、ラストも僕が感じたほど「緩い」わけではないのかもしれない。要するに僕自身に関して言えば、今回は残念ながら観賞前の期待と構えとを間違えてしまった、ということか。

*1:どちらも1人ずつであるとは限らないが、便宜上AとBだけで通す。