久々の小説読書Part2

Part1からだいぶ時間が経ってしまったけど、何事も無かったかのようにPart2。

裁判官の梶間は、誰もが極刑を信じて疑わないほどの凶悪事件の被告である武内に無罪判決を下す。二年後、梶間の隣家に越して来た武内は次第に梶間家の人々との間に親密な関係を築いて行くのだが、時期を同じくして周囲では不可解な出来事が起き始める。果たして、梶間は殺人鬼を解き放ってしまったのか・・・?

ジャンル的にはサスペンス・スリラーとでも言えるのかな――と、裏表紙の梗概を読んだ時に思ったんだけど、まさにど真ん中だった。ただ、いわゆるサスペンス・スリラーって、読んでいてハラハラ・ドキドキするというより、むしろ息苦しくなって来て、それこそある種の心理的苦痛さえ感じることが往々にしてあるので、正直、そのジャンルの小説は苦手としていた。読書に限らず、映画や芝居の観賞だって、楽しむためにするのにどうしてわざわざ苦痛を感じなきゃならないのか、というわけ(ただ、よくよく考えてみるとそれもまた偏狭な考え方であって、そうした心理状態も、平凡な日常生活では味わえないような様々な状況を追体験させてもらったおかげなのだから、それを逆に――ジェットコースターやお化け屋敷を楽しむように――楽しむのが正しい態度なのかも・・・)。でも、スリラーないしホラー的な要素の濃い作品だって、謎とその解決・解明・暴露といった要素が縦軸に組み込まれていてくれたら、少なくとも最後にはある意味スッキリすることが出来るので、それはそれで悪くはなかったりする(――で、結局なんなんだという話しになりますわな・・・)。

さてこの作品はといえば、少なくとも、梗概に書かれてあるような「最後まで読者の予想を裏切り続ける」といった類の小説ではなかったと思う。この筋立て(展開のさせ方)からすれば、結末についてはだいたいの予想がつくはず。確かに本作をミステリィとして読もうとするなら、「ある点」に関するハウダニットに焦点を合わせることも出来るように思うし、実際、いくつかのスリードもしっかり仕込まれていた。ただ、本作の力点は最終的には必ずしもそこには置かれていなかったような気がする。そういった技巧に淫した作品では決してない。本作はむしろ、ある家族の物語とそれを牽引するサスペンス・スリラー的要素とが、一方が他方の要素の引き立て役になっているといった依存関係にあるのではなく、両者が巧妙に絡み合ったエンターテインメント作品だと言えるかも。

まず、かなりリアルな(ある)家族像がそこでは展開されている。こうした小説って、たいていは誰か1人を主人公に据えるか完全に客観的視点を採ることでストーリーが展開することが多いけど、本作の場合は、梶間、その妻、嫁の三人の視点が混在している。そして、多くの人がそこかしこで感想を述べているように、その内の女性心理(妻と嫁)の描き方がとりわけ真に迫っていた(ように感じられる)。「作者は男性なのにどうしてここまで女性心理の襞が分かるのか」という女性読者の感想を多く見掛けるが、でもむしろ逆に、男性だからこそ、現実の嫁としての姑に対する感情やその逆の感情などに囚われることなく、距離をおいて比較的冷静にその心理を分析・描写することができたんじゃないか、とも言えるような気がする。嫁と姑との間の関係をいろいろな意味での典型的な対立・緊張関係としてではなく描くことに成功しているのは、もしかするとそのせいなのかもしれない。

とはいうものの、やはり「単なるいち家族小説」では、文学作品にはなり得てもエンターテインメント作品としては不完全燃焼に終わりかねない。その物語を牽引するためのいわば縦軸としてのサスペンス・スリラー的要素は、やはり必須だ。そしてその行き着く先が、あまりにも皮肉なクライマックス。梶間の、元裁判官としての矜持と一家の大黒柱としての責任とが1つになって彼の身に降りかかって来た瞬間――結局はそれこそが、作者が最も書きたかったシーンなんじゃないか、恐らく執筆に際してはこのシーン目掛けて突き進んで来たんじゃないか、と誰もが思えるに違いない(それこそが正に「火の粉」を払う場面なんだから、わざわざ指摘するまでもなく明らかなんだけど)。そしてそれに引き続くエピローグ的な最終章では、「救い」への一筋の光明が。単純ではあるけど、飽くまで個人的には、やはりラストにそうした「救い」がある(と信じる)からこそ、こういったサスペンス・スリラーを興味深く(ほとんど一気に)読み進めることができるのであって、これがもし、何の救いも無い絶望的なラストだったりしたら、それこそこの種のジャンルに対するトラウマにさえなりかねない。

ジェットコースターに乗る時だって、最後には断崖から突き落とされると分かっていたら、あるいは少なくともそう信じていたらなら、決して楽しめないだろう。