鯨統一郎『新・世界の七不思議 (創元推理文庫)』(創元推理文庫)

邪馬台国はどこですか? (創元推理文庫)』に続く姉妹編。前作は日本の歴史にまつわる「新(珍?)説」を開陳する作品が主(ブッダとキリストも扱われてたけど)だったのに対して、本作で扱われるのは専ら国外の古代史にまつわる「新・珍説」たち。アトランティス大陸ストーンヘンジ、ピラミッド、ノアの方舟始皇帝、ナスカの地上絵、モアイ像――これらにまつわる不思議を議論するのは、「極東のうらぶれたバー」に集まる4人。そこで得られたデータや考え方から、フリーライターの宮田六郎は、謎を解明し定説を大きく覆すとんでもない(トンデモな!?)説を次々と打ち立てる。得られたデータから考え得る最も合理的・整合的な結論を導いてそれを「解決」とする、という一連の流れは、いわゆる「ミステリィ」の形式に則っている。さらに言えば安楽椅子探偵か。前作においてそうした仕方で提示された説の内のいくつかは、結構説得力があるし面白いかなと思った記憶があるんだけど、本作で提示された説に関しては、どれもさすがに牽強付会に過ぎるような印象が・・・。

「この風習や建造物はあの風習や建造物に似ているから、これはあれから影響を受けたと考えてもおかしくはない」とか、「この建造物の目的はこれで、かつ、この建造物はあの建造物に似ている、だから、あの建造物の目的もこれだと考えてもおかしくはない」式の推論もどきも見られたけど、でもそれをやっちゃあ、そこいらのトンデモ説と何ら変わりなくなってしまう。定説を覆し、謎に新たな光を投げかけているかのように思わせてくれる「説」でありながらも、いわゆるトンデモ説(の導き方)とは一線を画している、というのでなければ(そしてそれこそがこの一連のシリーズの趣旨のはず)、確かに面白くはあるけどそれ止まり。「言われてみれば、もしかしたらそうなのかも・・・」と思わせてくれる見方もいくつかあるにはあったけど、全体的にはやっぱり無理がある。ある程度まで結論(解決)が先にありきで、それに都合の良いデータだけを提示してそこから逆算的に宮田に「推理」させている感がありあり。もちろん、他の完全なフィクションとしてのミステリィなら作法(さくほう)としてそれもありだろうけど、こと歴史に材を取っている限り、そしてまたその結論(解決)の正しさを作者自身が半ば真剣に信じているのである限り、やはりその作法ではごく普通のトンデモ説しか生み得ない。

とはいえ、その奇天烈な発想自体は相変わらず素晴らしいと思う。たとえば、この古代の建造物が何のために造られたと思うか自由に考えてみろと言われても、ここまでの発想はとても出て来そうにない。そう考えると、自分の頭の硬さを棚に上げて色々言う資格があるのかとちょっと不安になって来なくもない・・・。