小川洋子『博士の愛した数式』

第一回本屋大賞受賞作が文庫化。最近は文庫と言えども分厚くて、千円を越えるものも多い中、このサイズにこの値段(本体438円+税)は「これぞまさしく文庫!」って感じ。個人的にはなぜか最近こうした典型的な文庫を買って読むことがなかったなあ。

さてこの作品、どうやら人気を博し、今年(読み終えた時点では「来年」)は映画版も公開されるほどらしいんだけど・・・・・・。いや、何と言うか、こういう作品をヘタに「別にそれほど良いとは思わなかった」とか言っちゃったりしたら、天の邪鬼だとか読解力が無いんだとか単に鈍感なだけだとか何とか、とにかく人格的に何らかの問題を抱えているかのように思われるんだろうなあ、と思えちゃうタイプの作品――というのが(遠回しの)感想。

「解説」の藤原正彦氏によれば、作者の小川氏に取材を申し込まれた数学者である彼は、「数学者といえば、なぜか『純粋』とか『奇人』が通り相場」で今回もその類だろうと思っていたようだが、結局出来上がった作品を読んだ後、この点について彼自身が思い直すことになったのかどうかは具体的には書いていない。でも少なくとも、訂正はしていない。いずれにせよ、実際、この作品に登場する博士のキャラクター造形が正にそれであることは否定し難いように思う。そのあまりにも露骨に作為性の感じられる性格づけが、常に鼻について仕方がなかった。「私」の息子「ルート」少年も、いかにも女性作家にありがちな少年キャラ*1で、その少年と博士との交流を描かれちゃったりしたらもう、何と言うか、それこそバターにマーガリンを混ぜたような感じ(?)。

また、「80分しか記憶がもたない」という博士の設定は、果たして効いているんだろうか? 唯一、博士の義姉である未亡人が「私」に放ったある一言にだけは、強烈に効いていたと思うけど(ただその場合も、別に記憶保持時間が「80分」という短い時間である必要性までは感じられなかった)。ある一定時間しか記憶が続かないというこの設定が本当に活きるのは、よくよく考えてみると、(「ある時点以前の記憶は残っている」という設定と合わさって)この未亡人との関係に関わることにおいてのみなのだ。「私」や「ルート」との関係にとって、実はこの設定はほとんど本質的な役割を果たしてはいない。というのも、この博士はこういう(作者のイメージとしては恐らく「典型的な」?)性格の数学者なんだという設定だけでも話は十分に成り立ってしまうような気がするからだ。にもかかわらず、肝心の(はずの)この未亡人の心情やその過去などについては全く語られていない。それが逆に、隠されるべくして隠されている物語としての興味を誘発するように(静かに)作用している。実際、この作品中で個人的に最大にして唯一興味を惹かれたのが、この未亡人の隠された物語。

要するにそれは裏返せば、この作品は博士と「私」と「ルート」との交流の物語としてはさほどイタダケなかった、ということに尽きているんだけれども。

*1:もちろん逆に、男性作家にありがちな「少女キャラ」っていうのも多々あるわけで、だからその点では痛み分け(?)。