「スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡」

http://www.ntv.co.jp/escher/

正月の連休前に行って来ましたBunkamura(恥ずかしながら、シアターコクーンてここにあるんだと初めて知る)。平日の昼過ぎだったけど、チケット売場はかなりの行列。やっぱりローソンで予め買ってから来れば良かったと後悔。無事中に入ると、「鑑賞ガイド」として、ヘッドホン付きのニンテンドーDSを借りることが出来る。別に鑑賞ガイド自体は要らなかったんだけど、単にDSをいじってみたかったので・・・・・・。場内にもなぜか、順路に沿って作品のある側に「列」が出来ていたけど、ここは別に順番なんて関係なくて自由に見て回って良いはずなので、フレキシブルに動き回る(「割り込み」にはなりませんよね?)。

なかなか良かったです。エッシャーと言うと、やっぱりどうしても「騙し絵」*1のイメージがあるけど、もちろん実際にはそれだけじゃなくて、かなり写実的な木版画リトグラフも多々あるわけです。また「平面の正規分割」も、これだけまとめて見るとかなり興味深くて、なにより、製作ノートがまるで幾何学を研究する数学者のノートのようだったのが印象的。この手法を使った騙し絵ももちろん多数あるけど、全く「騙し」要素の無いこの手法による作品も。ただ、そうした作品もやはり、ある意味では異世界を表現したものであることに変わりはありません。彼の作品の多くは、幾何学的な緻密さによって異世界が表現されていて、でもその手法はやっぱり飽くまでも「この世界」における幾何学(などの理論)だから、それは結局は「この世界」の中にある備品の一つに過ぎない、にもかかわらず、その備品が表現している世界は「この世界」の中には存在し得ない、とはいえ・・・・・・(以下、延々と続く)。要するに、エッシャーの一連の作品群の特徴それ自体までもがまるで、彼自身の作品の一つであるかのよう、と言うか・・・・・・(ちょっと無理がある?)。

いずれにせよ、「でんぐりでんぐり」が凄まじい人気でしたね(あ、誤魔化した)。

出口を出た所に、エッシャーの作品をモチーフにしたフィギュアが出て来る「ガチャガチャ(or ガチャポン)」があったのでやってみた。4つあったので、それぞれ一回ずつ。なのに、4個の内3つが同じってどういうことだよ・・・・・・(泣)。

*1:実際には、「騙し絵」というより「錯視絵」とでも言った方が良いものが多いと思うけど・・・・・・。

「堤真一主演で京極堂続編!永瀬は降板」(スポニチ)

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2007/01/08/06.html

ありゃま、やっぱりやるんですね、『魍魎の匣(もうりょうのはこ)』。

確かに当初は、京極堂シリーズを順次映画化して行く予定とのことだったようだけど、前作『姑獲鳥の夏』の出来が思った通りビミョーだったし、何より実相寺監督が昨年亡くなったこともあって、この企画はてっきり頓挫したんだと思ってました。でも続行ってことは、前作は採算が取れた、あるいは次作以降に採算が取れる見込みがついたってことなんでしょうかね? しかも原作はどんどん長く複雑になるけど、その辺をクリア出来る見通しもついてるんでしょうか・・・・・・?

前作の関口役だった永瀬正敏は降板(「体調不良」ねえ・・・)で、代わりを務めるのは椎名桔平! 思わず、「あり得なくね?」と最近の若者口調で言ってしまいそうになります。でも、それより何より、少なくとも『魍魎の匣』で一番気がかりなのは木場役でしょう。宮迫博之・・・・・・。いや、彼自身の演技力自体がどうこういう問題じゃなくて、いかんせん迫力不足は否めないような・・・・・・。あと、「ほう」がどういう感じで表現されるのかは、ちょっと楽しみかも。

実は、僕自身が京極作品に出会った&ハマったキッカケがこの『魍魎の匣』だったので、思い入れもひとしお。前作以上に観るのが「コワイ」です――でもやっぱり、観ちゃうでしょう。だってこれ、上手く映像化したらかなりインパクトがありそうだから。少なくともその意味では、確かに映画向きの作品ではあるんですけどねえ・・・・・・。

それはそうと、上映時間は2時間前後になってしまうんでしょうか? 前作でさえ無理があったのに、さらに長い原作を同じくらいの尺におさめようとしているなら、いくら何でも無謀過ぎる・・・・・・。ここは、たとえば『デスノート』形式で、前編と後編の二部構成にするっていうのも一つの手だと思うけどなあ。

「今年の抱負は・・・

・・・猪突猛進で行きたいと思います」って言うのそろそろ禁止! いい加減聞き飽きました。

っていうかそれ以前に、「猪突猛進」て必ずしも全面的に褒められた事ってわけでもないと思うんだけど・・・・・・。『大辞泉』(http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%C3%F6%C6%CD%CC%D4%BF%CA&dtype=0&stype=1&dname=0na)によれば、「周囲の人のことや状況を考えずに、一つのことに向かって猛烈な勢いで突き進むこと」――えっと、周囲の人が迷惑です。TPOも弁えられない人にロクな人はいません。「周囲の人や状況を全く気にも留めず、自分勝手に好きなことばかりやり放題の若者が増えて困る」と言われている昨今、喧嘩売ってるんでしょうか?

そう言えば先日、一国の首相までもが口走っているのを耳にしましたが、さすがにそれはマズイのでは?


(注:わざわざ言うまでもなく――でも一応言っとく――、上記の半分は「冗談」で出来ていますので悪しからず。)

「潜在的なもの」に対する恐れ

これは全くついでなんだけど、去年の内に思っていたことをたまたま思い出したので。
近年、なぜか人々は、潜在的なもの」に対して特に過剰とも言えるほどの注意を向け、そして時には恐れを抱くようにさえなっている気がする。

出生前診断(性別に関してだけでなく・・・)、大量破壊兵器保有疑惑に基づくイラク攻撃、(熱射病に代わって)熱中症メタボリック・シンドローム、など。

ただ、こうした傾向が何を意味しているのかは・・・・・・知りません。
というかそれ以前に、そもそも「近年、特にこうした傾向が見受けられる」という観察自体が怪しいものなんだろうけど。

ダブルスタンダード

それでふと思ったんだけど、最近の芸能界はある意味での「ダブルスタンダード」が流行っている(あるいは、流行りかけている)んでしょうか?

氣志團綾小路翔DJ OZMAをはじめ、サバンナの高橋と犬井ヒロシとか、あとは・・・・・・何だ、えっと、まちゃまちゃと摩邪(これは名前だけか)?

でも、レイザーラモンHGが結婚関係の話しの時には住谷(正樹)君になる(交信する?)っていう「設定」は、どうやら浸透していないよう(というか、浸透するまでに彼自身が消え出したみたい)だけど・・・・・・。

あとは、何と言ってもザ・たっち・・・・・・というのは大して上手くもないオチですね、はい。

明けました。

ようやく去年が終わったみたいですが、いやあ、ホントに終わるとは思いませんでした――まさかこの日が来るなんて。1年間がちゃんと1年で終わるなんて。去年1年、果たしてどうなることかと思っていたら、何とか無事(?)この日を迎えることが出来て、ちょっとばかり感慨深いものがあります。

今年も残すところあと1年になってしまいましたが、来年の今頃もたぶん、同じようなことを書いているかもしれません。